飯野晴子の「生き抜くヒント」vol.2

お嬢様・飯野晴子が
「伝説の広告ウーマン」になれた理由とは?


ー飯野さんは「伝説の広告ウーマン」と言われています。

らしいわね(笑)。でも、そうよ。私は、PCは使えない、コーヒーメーカーの使い方はわからない。離婚を機に35歳で働き出すまで、デザートまでついて900円なんてお得なランチセットがあることも知らないようなお嬢様だったのよ。それが、ルイ・ヴィトン、ロエベ、コーチ、フェラガモといった海外の一流ブランドの広告を、日本中の広告マンの先陣を切って手掛けるようになったのですから。


―どうして、そんなことが成立したのでしょう。

私にはハンターの気質があるみたい。とにかく人が好きで、目の前のクライアントの気持ちを自分に向けてモノにするのが楽しくて仕方がない。極端な例ですけど、床で新聞にくるまって寝泊まりして、クライアントに怒られて蹴られてもね、最終的に相手の信頼を獲得できればよかったと思えるのよ。


―でも、「お嬢様」が「床で新聞紙にくるまって寝る」なんて……。

ありえない。でも、楽しいじゃない? つい、この間も、こんなことがあったわ。大阪で仕事を終えて東京へ戻ろうとしたら、最終の新幹線に乗り遅れた。次の日も仕事があるし、なんとしても東京へ帰らなければいけない、どうしようと思っていたら、一緒にいた仲間が「夜行バスに乗ろう」って。私は、かつて飛行機はファーストクラスが当たり前だったような生活だったのね。夜行バスはそのときが初体験だったのですが、感動したわねえ。リーズナブルなのにちゃんと東京まで連れていってくれたし、揺れが意外と心地よくてぐっすり眠れたのよ。つまり、何を言いたいかというと、「何事も前向きに捉えましょう」ってこと。だって、そもそも人生は自分の意のままにはならない。私にとっても離婚は想定外だったし、2人の子供を抱えて働くようになるなんて頭の中をちらりと掠めもしなかった。でも、事実として起こってしまったのね。だから、それを認識して、受け容れる。港区のお洒落なカフェで朝からコーヒーを1杯――そんな優雅な生活、私だってやりたかった! やりたかったけど、子供たちを女手一つで育てなければいけない私は、私に許される範囲のことを楽しむんです。そうすると別の新しい発見があるの。新聞紙にくるまると温かい、とかね(笑)。昔の部下が仕事で悩むといまだに私のところへ相談しにやって来ますが、それだって一緒に床で寝たから。頼りにされるとうれしいし、のうれしいって気持ちも、今の私だからこそ感じられることなんだと思いますね。

目の前の運に気づける人が運のいい人


―飯野さんは、よく「どうしてそんなに運がいいんですか?」と聞かれるようですね。

ええ。実際、自分でもツイていると思うわ。


―具体的にはどのあたりが?

今から15年ほど前、57歳のときに、千葉県の上総一ノ宮にマンションを買ったんです。間近に定年退職を控えていたからローンを返せるか心配でしたけど、会社を辞めても仕事は続けるだろうし、近くに関東随一のパワースポットとされている玉前神社が在ることもあって「これからの私に絶対必要だ」と周囲に勧められ、それで思い切って。そしたら、今、70歳も半ばを迎えようとしている私をマネージメントしようと言ってくれる人が現れた。こんな話はそうそうないから、私は“いいこと”が起こったとしみじみ思うんです。実際、神社の御利益かどうかはわかりませんし、話に乗ってみて上手くいくともかぎりませんけどね。


―でも、来る波には乗る。

そう。私は今までそうやって生きてきました。離婚したから会社勤めをしてみよう。コミッションベース(歩合制)で働いてみよう。最初の会社で自分についてくれたクライアントを持って、業界10位の会社に移ってみよう。すべてがチャレンジ。自分で決断すると自分の責任になるでしょ? そうすると面白いものでね、人は現実をポジティブに捉えようとするんです。これが受け身だったら、そうはいかないわね。いいことがあったとしてもラッキーと軽く捉えて終わり。気づきが少ない。自分で切り拓くからこそ、運は認識できるようになるのかもしれないわね。



Misaki Confidential

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